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ジョセフィーヌ皇后とバラ

「ジョセフィーヌ」は、フランス領西インド諸島マルティニーク島の裕福な貴族の家に生まれ、1796年にナポレオン・ボナパルトと結婚。
結婚前の名前は、マリー・ジョゼフ・ローズ・タシェ・ド・ラ・パジュリ(Marie Josèphe Rose Tascher de la Pagerie)。

もともと裕福だったジョセフィーヌは、大変な浪費家だったといわれています。
贅沢な食事、ドレスや靴、植物の収集や植栽まで...

中でもバラに対する情熱は相当なもので、ナポレオンが戦争中の国からも苗などを収集していたようです。
また、ヨーロッパだけではなく、日本や中国など世界中から原種等の収集をし、その数は250種ともいわれています。

こうして世界中から集められたバラは、ジョセフィーヌの園芸家たちによって、マルメゾン宮殿の庭に植栽させていきました。

そのうちの園芸家の1人、アンドレ・デュポン(Andre Dupont)による人工授粉による育種の技術が確立され、後の四季咲きバラの品種改良に多大な影響を与えました。

さらにジョセフィーヌはバラの品種の記録も忘れませんでした。

画家 ピエール・ルドゥーテ(Pierre-Joseph Redoute)に描かせ、「バラ図譜」が生まれました。
当時のバラ169品種の絵を残しています。

現在でもルドゥーテは、ボタニカル・アート(植物画)の天才画家として評価されています。

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